「上昇の幸せ」と「充足の幸せ」のバランス
布袋農園にはメンバーの想いはもちろん、事業においても目標を立てています。大きな目標であったり、確固たる方針。それらは確かに大切で、会社を前に進めるためには欠かせない羅針盤のようなものです。野草の魅力を多くの人に届けるために達成しなければならない、という強い意志、いや、ある種の使命感や義務感すら伴うものかもしれません。でも、そればかり考えていると、ふと、心の奥底から小さく悲鳴のようなものが聞こえてくる瞬間があります。元々は「こうしたい」「こんな未来を実現したい」という純粋なWill(意志)だったはずなのに、いつの間にか「しなければならない」というMust(義務)に変わり、心が押しつぶされそうになる。まるで、重たい鎧を身につけて、身動きが取れなくなってしまうような感覚です。誰から言われたわけでもない自分で立てた目標なのに、そういう気持ちになってしまうことって皆様もありますでしょうか。
幸せには二つの側面がある
哲学者の青山拓央さんは、幸せには「上昇の幸せ」と「充足の幸せ」という二つの側面があると教えてくれました。目標や夢は、まさに「上昇の幸せ」の象徴です。ヒトや社会が向上し、成長するために、欠かせない原動力となります。高い山を目指し、頂上からの景色を夢見るように、私たちは目標に向かって努力を重ねます。けれど、それだけを追い求め続けると、心は疲弊してしまう。まるで、どこまでも続く階段を、ひたすら登り続けるように、息切れしてしまうのです。山頂にたどり着くことばかりに気を取られ、道端に咲く花や、吹き抜ける風の心地よさを感じる余裕を失ってしまうのです。
一方、「充足の幸せ」は、今ここにあるものの価値を見つめ、丁寧に味わうことで得られる、満ち足りた気持ち。朝の光が部屋に差し込む暖かさ、淹れたてのコーヒーの香り、大切な人との穏やかな会話。そういった、日々の小さな喜びの中にこそ、かけがえのない充足の幸せは宿っているのかもしれません。それは、登山の途中で見つけた、静かな泉のようなものかもしれません。喉を潤し、一息つくことで、再び歩き出す力を与えてくれる。ただ、充足だけを求めていては、現状維持で満足してしまい、自分自身や社会をより良くしようという、前向きなエネルギーは失われてしまうでしょう。泉のほとりでいつまでも留まっているだけでは、山頂の景色を見ることはできないのです。

「中庸」という考え方
大切なのは、この二つのバランスを取ること。アリストテレスは、それをメソテース、中国古典では「中庸」と呼んだそうです。どちらか一方に偏るのではなく、状況に応じて、両方の価値を理解し、適切に配分すること。それは、常にバランスを取り続ける繊細な作業なのかもしれません。「夢を持たねばならない」「あるべき自分にならなければならない」という、社会的なプレッシャーや、内なる焦燥感に苦しんでいるなら、それはもしかしたら、今は上昇ではなく、充足の幸せを意識的に求めるタイミングだという、心からのサインなのかもしれません。立ち止まって、足元に咲く小さな花に目を向けてみる。空を見上げて、雲の流れを眺めてみる。私にとってはお茶を煮出すときのコポコポと浮かぶ気泡をみる時間も、時には、いや、むしろ積極的に必要なのだと思います。そうすることで、再び前を向いて歩き出すための、新しい力が湧いてくるのかもしれません。猫を膝に抱きながらにがーい苦丁茶も飲みたくなる日もあるのです。
布袋農園 稲葉浩太
我が家の猫(ムーン、ベル)