静けさに、からだが還る。

セミの声が聞こえるようになってきた午後、私は一人、静かな部屋にいる。窓の外は、じりじりと照りつける太陽と、絶え間なく鳴り響く蝉の声。街の喧騒と相まって、耳から、目から、そして肌から、容赦なく情報が流れ込んでくる。こんな日は、外に出る気にもなれず、ただ静かに時が過ぎるのを待っている。

冷房の効いた部屋で、温かいお茶を淹れ、湯呑を両手で包み込む。冬の時とはまた違う温かみが、少し冷えた指先に優しく染み渡っていく。湯気とともに立ち上る香りは、心を落ち着かせ、呼吸を深くしてくれる。

普段、私たちは、あまりにも多くの音に囲まれて生きている。スマートフォンの通知音、街を走る車の音、パソコンから流れるBGM。それらの音は、意識しないうちに、私たちの心と体を少しずつ疲れさせる。

でも、そんななかでも静けさに耳を澄ませることもできる。ギシっという椅子の軋む音がのほうが、BGMより心地いいくらいに静けさに集中してみる。普段は聞こえない、自分の体の声が聞こえてくるような気がする。心臓がトクトクと脈打つ音。血液が体の隅々まで流れていく感覚。まるで、からだが本来の自分に還っていくような、そんな感覚だ。

静けさの中で、私たちはからだが発する小さな声に耳を傾けることができる。それは、疲れているというサインかもしれないし、休みたいという願いかもしれない。それに気づくことが、自分を慈しむことの始まりだ。

静けさは、からだが還る場所。そして、心が安らぐ場所。私たちは、もっと静かな時間を持つべきなのかもしれない。

猫はそんなことお構いなしに、にゃーとうるさく邪魔してくるけどね。

子供が寝た途端甘えん坊になる猫 ムーン